グランプリチェア

グラフィカルなフォルムが印象的なグランプリチェアは、1957 年にコペンハーゲンのデンマーク工芸博物館において開催された春の展示会で初公開されました。アルネ・ヤコブセンによりデザインされたこのチェアは、同年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを獲得、以来グランプリチェアと呼ばれています。チェアのベースはスチールとウッドレッグの2種類、シェルはウッドの種類やカラー、パディングの張り地など幅広いバリエーションからお選びいただけます。

人物像

ときには仕事のパートナーやメーカーに対して気難しい態度を取り、辛辣で妥協を許さなかったヤコブセンは、家族の面倒を見る代わりに事実上夜昼なしで働くことをスタッフたちに要求しました。それが嫌なら、辞めればいいと。ヤコブセンの家族は、自宅を改装するときにいくつかの色味の白のなかからいちばん合う白を選ぶよう求められたり、正確な構図がつかめるまで何時間にもわたって額縁を持ち続けるよう指示されたりしました。ヤコブセンがようやくスタジオから帰宅すると、コーヒーカップは幾何学的なきれいな列に並べられ、子供たちの玩具もすっかり片づけられていました。 自然を愛する植物学者 画家ルソーのように水彩画に夢中になったり、自然について学んだり、苗木の手入れをするヤコブセン。こうした側面は、まったく異なる、より丸みを帯びたヤコブセン像を私たちに描き出してくれます。ヤコブセンは、自ら設けた制限や制約からときどき逃れようとしました。もしかしたら、人知れず「美意識に窒息させられそうだ」とつぶやいていたかもしれません。そんなヤコブセンは、反デザインと反美意識が支配する場所に避難することに対し、「なんて最高なんだ。ここでは何ひとつ変えられないなんて!」とときには大いなる喜びを表現しています。さらに、美味しい焼き菓子には目がありませんでした。でも、美味しさを堪能するには、焼き菓子は美しくなければいけません。ほんの一瞬とはいえ、美意識の妥協を許すという困ったジレンマにヤコブセンが陥った証拠です。 温かいユーモアのセンス アルネ・ヤコブセンのユーモアと自己卑下は、彼の草案や親しい友人宛の手書きのクリスマスカード、あるいは自身にとってかけがえのないテーマ(彼の性格上、そのほとんどは仕事関連)にまつわる言葉からも顕著です。子供の頃からヤコブセンは自らピエロを演じるのを好み、大人になってもおどけ役を買って出ました。ときには、道化師ふうに中身をくり抜いたメロンを帽子代わりにかぶることもありました。