経歴
アルネ・ヤコブセンがフリッツ・ハンセンにとっては最も重要なデザイナーであることは、疑う余地もありません。フリッツ・ハンセンとのコラボレーションは1934年にまでさかのぼり、1952年、「アリンコチェア」登場で 彼の名とフリッツ・ハンセンの名は世界の家具業界に広まりました。
少年期
アルネ・ヤコブセンの学歴は当時の社会では一般的なものといえます。中等学校を出た後の4年間は工業技術学校(1920-24)に通い、休日にはレンガ職人の弟子として訓練をつみました。学校教育の最後の3年間(1924-27)は、デンマーク王立芸術アカデミーの建築学部で学びました。アカデミー卒業の翌年、コペンハーゲンの北にあるクランペンボー(Klampenborg)の新しい国立美術館のコンペで金メダルを受賞しています。
アルネ・ヤコブセンはもともと、画家を志していました。デッサンと水彩画に才能を発揮し、多様性とコントラストを表現することにおいても鋭い感覚を持っていました。1929年、それまでの新古典主義的な発想を捨て、新たな国際様式つまり機能主義に転向しました。この方向性で取り組んだ最初のプロジェクトが、モダンで斬新な博覧会場の設計でした。
地位の確立
アルネ・ヤコブセンの1930年代は、大変多忙でした。ベルビュービーチという海水浴場(1932)、ベラヴィスタの集合住宅(1934)、HIKテニスコート(1936)、オーフス(1939-42)ならびにスラレド(Sollerod1940-42)の市庁舎、ゲントフテにあるアパートやテラスハウス、戸建て住宅とその地域デザイン(1932-38)、コペンハーゲンのステリングハウス(1937)などの建築デザインが好評を博しました。
亡命
1943年1943年、ユダヤ人であったアルネ・ヤコブセンは、テキスタイルデザイナーであった妻のヨンナ・ヤコブセンを連れて、当時ナチスの支配下にあったデンマークからスウェーデンへの亡命を余儀なくされました。スウェーデンの同僚たちから温く迎え入れられ、彼の天性のスケッチ力によりの多くの壁紙デザインやテキスタイルのデザインを生み出し、それらは1944年にコレクションとして発表されました。第二次大戦の終結後、アルネ・ヤコブセンはデンマークに戻り復興のために労しますが、建築資材の不足に悩むことになります。この不足を克服するために、アルネ・ヤコブセンは伝統的な建築手法と資材を活用し、しかも現代的な概観は維持するという手段をとります。そして、1940年代末には、現代建築の伝統の中でも特に特徴的で美しい住宅を設計することになります。
彼の設計したインテリアを見れば、ヤコブセンの多才さを窺い知ることができます。また、彼は美しいものや優れたデザインの生活用品、家具、ランプ、テキスタイルなどの中に身をおくことを好みました。
革新
アルネ・ヤコブセンの使命は、工業製品に手作りのような感触を与えることにあり、1952年に「アリンコチェア」シリーズの生産が始まったときには新しい生産方式を導入しています。「アリンコチェア」はシートと背もたれがラミネートされた一体構造となっています。1952年から作られたオリジナルの「アリンコチェア」チェアは、デンマークの製薬グループであるノボノルディスクの食堂のためにデザインされたもので、3本脚かつ積み重ねて保管ができるものでした。以来フリッツ・ハンセンでは、3本脚と後に開発された4本脚の「アリンコチェア」、ならびに4本脚の「3107」チェア(1955)を、記録的な台数で生産してきました。今では「アリンコチェア」は世界のいたるところで目にすることができ、オフィスや住居、美術館、展示会と今もその活躍の場は広がりつつけています。
新たな建築作品
第二次世界大戦が終わり数年の後、資材の欠乏状態にも終止符が打たれました。国境も再び開放され、伝統主義は国際主義に道を譲ることになります。1950年代末にアルネ・ヤコブセンが受けた依頼のうち2件は、こうした発展を典型的に表すものでした。ルードブレ市庁舎(1955)とコペンハーゲンのSASロイヤルホテル(1959)を見れば、アルネ・ヤコブセンが自分のプロジェクトにどれだけ献身的に取り組んでいたかが分かります。「エッグチェア」、「スワンチェア」ならびに「スワンソファ」はロイヤルホテルのためにデザインされたのです。また、コペンハーゲンの北にあるゲントフテのムンケゴー小学校(1955)も、前期の2例に劣らず注目を集めました。
海外からの注文
1960年代初頭、英国オックスフォードのセント・キャサリンズ・カレッジがアルネ・ヤコブセンに建物の拡張を依頼しました。この建物のある田園地域は、ヤコブセンに建築家としてだけではなく造園家としての才能も発揮する機会を与えました。また、このカレッジのためにヤコブセンがデザインしたのが、「オックスフォード」シリーズのチェアです(1964)。この拡張工事が完了した時点で、ヤコブセンはオックスフォード大学から名誉博士号を授与されました。アルネ・ヤコブセンへの国外からの依頼はドイツからが多く、その際に彼はオットー・ヴァイトリングと頻繁に仕事を共にしていました。二人は共同でハンブルグの発電所(1962)をはじめ、カストロープ・ローゼル(1966)とマインツ(1968)のシティセンターを設計しています。こうしたドイツでのプロジェクトとコペンハーゲンのデンマーク中央銀行(1961)とは、1971年にヤコブセンが他界してから完成を見ることになりました。ヤコブセンの死後、これらのプロジェクトを指揮したのはオットー・ヴァイトリングとハンス・ディッシングでした。
今なお、インスピレーションの源
アルネ・ヤコブセンに続くデンマークを代表する建築家たちの多くは、ヤコブセンから多くを学び、その影響を受けています。ヤコブセンは家庭用品のデザイナーとしても卓越しており、今日でも彼の作品はデザインの評価基準になっているほどです。中でも1967年にステルトン社のためにデザインした「シリンダーライン」は有名な作品です。彼は建築家として以上に、家具やその他のデザインにおいて評価され、作品はデンマークのみならず世界の文化遺産ともなっています。ヤコブセンの建築物の豪華さ、優美で装飾的な造園、そしてその他のデザインの原理の根底にあったものは、センシュアルな要素を秘めながらも抽象化を目指すという姿勢でした。こうした実績と態度を兼ね備えたアルネ・ヤコブセンは、賞賛と敬意を集める天才と呼ばれるにふさわしい人物でした。
アルネ・ヤコブセンのデザインした以下の家具シリーズを、フリッツ・ ハンセンでは今も作りつづけています
アリンコチェア、セブンチェア、オックスフォード、スワンチェア、エッグチェア、3300シリーズ
参考文献
"Arne Jacobsen" - Architect & Designer - Danish Design Centre, 1994. "Arne Jacobsen, The Architect, 1902-71" - Exhibition at the Architect School in Aarhus, 1990. "Arne Jacobsen" by Joergen Kastholm - published by Andr.Fred. Hoest & Soen's Forlag, 1968. "Dansk Moebel Kunst" (Danish Furniture Design) - In the 20th Century (volume 1 + 2) by Arne Karlsen - published by Christian Ejlers' Forlag, 1990 + 1991. "Dansk Moebeldesign" (Danish Furniture Design) - published by Kunstmuseet Trapholt, 1993. "Stolen (Chairs) - Design in the 20th Century", by Birgit Jeppesen & Dorthe Spaabaek - published by OP-Forlag ApS, 1994.
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